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【外部講師を学校に呼ぶ意義】じゅげむ

3年連続呼んでいただきました、大阪府堺市立登美丘南小学校さん。毎年6年生にはキャリア教育の授業を、5年生には落語の面白さに触れる授業を行います。先生が毎年、私を外部講師として呼び、落語の授業を行うことに意義をもっていただいてます。ただ落語の授業をするだけではない、その奥にある意義。学校の先生と思いが通じ合っていると感じられる時は嬉しいものです。

「クラスで手がかかり、担任の先生もどのように接したら良いのか迷いながら接する児童がいます。」というケースを様々な学校で聞きます。私が外部講師として出向き、みんなに落語をやってもらう時間、そのように言われる子達は落語を演じる中で特に輝きます。普段もっと自分を出したいのに押さえ込まないといけない部分がある、面白いこと考えてるけど上手く表現できない子達にが、思いっきり表現できる時間が落語を演じる時間なのです。落語とはどのような面白さがあるのか。「想像の世界で楽しむもの」という学びを得た際に、みんなでそばを啜る仕草をやってみます。そばを啜ってみるだけでなく、コツを掴んだ後は「何か失敗を入れて演じてみよう!」と問いかけ、蕎麦を啜りながら失敗を入れて演じてもらいます。これがまた面白いこと。みんな楽しそうに蕎麦を啜る仕草と、失敗を入れて楽しみますが、特に輝く子達はその落語の世界で思いっきり自分の発想したことを表現することができています。大きく大きく、大袈裟に。堂々と表現するので、恥ずかしそうに演じる人達よりも笑いの量が多く、断然違うことが全員わかる状況です。演じ終わった後、彼の顔はとっても輝いています。みんなに笑ってもらえたことが心から嬉しいんだ、ということが彼の表情からも伝わってくるのです。

笑い声というものはその場で承認が得られる素晴らしいものだなと感じます。私はこの瞬間に立ち会う度に私が外部講師として学校に出向き、笑いの授業を行う意義を感じます。そして、合わせてこの仕事のやり甲斐と幸せを感じます。表現する人も聞いている人も、講師もみんなが良い思いになる時間。もっともっとこの空間を作っていくべきだと思いが募るばかりです。

「笑い教育」だからこそ輝ける子ども達が居ます。誰しも得意不得意がある。勉強もスポーツも苦手。集団と馴染むのも苦手。だからこその強みがある。誰かの可能性を見つける手助けになることがあるのなら、私は呼ばれた場所へどこへでも駆けつけます。笑い教育の素晴らしさ、是非私と共に感じてみませんか。