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【正しさとか楽しさとか】かける

「正しさとか楽しさとか」

こうなってほしい、こうあってほしい。こういう風に育ってほしい。
これは、親であれば子どもに対してひとつやふたつ願っているものかと思います。
そして、教育者の場合も同様に、考えていることでしょう。

ただ、私の知る中で、それらを願っていないという教育者もいます。
これを身につけてほしいから、これをさせるとか、こうなったらダメだから叱る、
とかではないありのままを認めていくスタイル。
その方を尊敬しているし、理想とする部分もあるし、自分の行う教育との違いに
「自分の願い(エゴ)」ってやつは…と胸をうずまく感情に悩むこともありますが
それでもやはり自分の漫才教育を信じていますし、誇りでもあります。

 ただ、自分が行っている教育を正義としてしまうことに、怖さもあります。
それをやろうとしない子、を正義の反対だと捉えてしまう危険性があるからです。
「こうなってほしい」といった願い=自分にとっての正しさは、
その子が本当に求めているものなのか。本当に必要なのか。
これは見極める、見極めないではなく、私たちが本当に判断しなくてはいけないのは
その伝え方の部分で「正しさ」が前に出ているか、「楽しさ」が前に出ているか。
そこなのではないでしょうか。

楽しくて、正しいこと。
正しいし、楽しいこと。
楽しくないけど、正しいこと。
正しいけど、楽しくないこと。
楽しいけど、正しくないこと。
正しくないけど、楽しいこと。
楽しくないし、正しくないこと。
正しくないし、楽しくないこと。
楽しいから、正しいのか。
正しいから楽しいのか。
正しいから楽しくないのか。
色んな場合分けができそうです。
そしてこれは哲学なのかもしれません。
そして、私はこれを書きながらゲシュタルト崩壊しています。

では、正しさと楽しさのどちらを優先するか。
もちろん、両方です。じゃあ、両方の中でどちらを大切にするか?
そこはやはり「楽しさ」ですね。
笑い教育と聞いたらやっぱり、楽しさだと思うのです。
正しさを疑うことが、笑いのネタになる。
自分の正義は誰かにとっての正義に反するかもしれません。
自分にとっての楽しさが誰かにとっての楽しくないだとしたら
きっとそれは正しくないことなのでしょう。
つまり、いじめがそれですね。
となると正しさもやはり大事…。

楽しいであっても、正しいであっても
相手に「求めない」ということが一番大事なのかもしれません。

楽しいからこそ、伝わる正しさ。
私は私の漫才教育をより楽しくしていきます。

私の漫才教育を受けた人の数も1600人を超え
落語教育や、インプロ教育を受けた人と合わせると
2000人を超えることができました。
いろんな方との縁と運でここまでやってこれました。
皆さま、いつもありがとうございます。