【面白がる感性】 じゅげむ
「学校で『死ね』という言葉が流行っているようで、みんな面白がって使っているんです。そういったこともあり、うちの子が最近学校に行きたがらないんです」親子でワークショップを受けてくださったお母さんが、感想シェアタイムの際に話していた言葉でした。本人達は面白がって使っているけど、面白がってはいけない言葉があります。自分も含めてみんなが「面白い」と思える言葉を選んで使う。そんな文化を作りたい、というのが私の願いでありミッションです。
今回の落語ワークショップは「失敗を笑いに換える落語から学ぶはみ出し者の生き方」というテーマでした。はみ出し者が身の回りに居た時にどのような受け取り方をして、どのような言葉を添えるのかを考える時間を作り、意見を出し合います。落語の話を取り上げて落語を聞いてみるところから始まります。例えば、「粗忽長屋(そこつながや)」というお話。このお話は、行き倒れている人を友達と思い込み、「友達の熊五郎じゃないか!かわいそうに…熊五郎は朝話したから本人を呼んでくるよ!」と言います。この行き倒れは昨晩から居るのですが、朝喋った本人を連れてくる!と、とってもクレイジーな言動を繰り返す人が出てくるお話。落語の設定とキャラクターを伝えた後、「身の回りにこのような人がいたら、どのように受け取り、どんな言葉を添えてあげますか?」と問いを立て、みんなで考えます。ちなみに、みなさんだったらどのように考えますか?
「変な人」「そんな人と関わらない」「君おかしいよと伝える」
このような言葉が浮かんでくるでしょうか。実は粗忽長屋の人たちは否定的な言葉を言いません。
「いいじゃん、面白いじゃん。本当に連れてくるかも知れないよ」
彼を受け入れ「面白がる」のです。このマインド素敵じゃないでしょうか?変な行動を「変だ」と捉えているのは自分自身なんです。それ自体を面白がる視点があるだけで、人生が何倍も楽しくなり、変わり者と言われる人が良いものになります。みんなが生きやすい社会になる。だから私は落語を通してこの否定せずに面白がる「落語思考」を広げるために落語教育事業を展開しています。
ボキャブラリーも大切です。相手に伝わると嬉しい言葉は何か、悲しい言葉は何か。言葉を知っておくこと、そして何を面白いと思うのか、その感性に磨きをかけていく必要があります。「死ね」と言う言葉を面白がってしまうのは違うんだと言うことを学んでから言葉を使っていくことが、生きる中で大切です。落語を通して、自分たちで笑いを作っていく中で「何を面白いと思えるか」という感性を磨く場を引き続き全国で作ってまいります。
楽亭じゅげむ