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【コミュ力ってなんだ?】かける


「笑いのコンサル」として、芸能人同士の結婚式の乾杯の挨拶を任された社長さんに笑いコンサルしたり、起業家のプレゼンのコンサルや、学生に自己紹介のコツを伝えたり、企業にファシリテーション力を高める方法を伝授したり、幅広くコミュニケーション力向上をサポートしています。その中で、最近改めて「コミュ力ってなんだ?」と考えるきっかけがありました。

とある教育者の後輩に質問されたときのこと。「かけるさん、質問が3つあります。まず1つ目ですが…」ここまでは普通だったのですが、私が質問に答えたあとの後輩の返しに違和感を覚えました。「はい、じゃあ次なんですが…」2つ目に答えていると「はい、じゃあ次の質問いっていいですか?」と。答え終わる前に次の質問に行こうとしてきたのです。もう答えは分かったから、早く次の質問に行かせてくれと言わんばかりの圧に戸惑う私。
「はは~んこれは、あれだな。私のことを答えにすぐにアクセスできる検索エンジンだと思っているんだな」と私なりに納得させ、最後まで付き合いましたが、やはり一抹の寂しさは残りました。AIが台頭したことで、答えにすぐにアクセスできるとても便利な時代。スマホに音声で質問を投げかければ、音声で返してくれる。一方でそれは相手のいないコミュニケーションが誕生してしまったということなのかもしれません。だからこそ、目の前の人に質問をしたときに、相手からの回答に対してのリアクションをしなかったのでしょう。でも果たしてそれは本当のコミュニケーションでしょうか。

このことから、私はコミュニケーションというのは一方通行ではなく、双方向なのだなという気づきを身をもって実感することができるようになりました。たった一人だけでコミュ力が高いという人はいません。誰かがいてこそのコミュ力。会話は相手との共同作業なのです。目の前の人を楽しませようとか、良い時間を分かち合おうとする気持ちを持っている人がコミュ力の高い人であって、相手を貶めたり、マウントをとったりして自分を優位に保とうとするのはコミュニケーションではないのです。

私の中で漫才とは「笑いのある会話」だと、定義しています。会話があくまでベースにあって、そのやりとりの中でお客さんを笑わせていく、話芸が漫才。(そうじゃない漫才もあるし、それも面白いし好きですが)漫才教育の中で「会話になっているか」どうかのフィードバックだけは必ずしています。どれだけ笑いを取ってウケていても会話として成立していない漫才は、私は漫才教育ではあまり評価しません。(何度も言いますが、そういう漫才も好きです。あくまで教育という視点で見たときに、漫才教育家としての意見です)

これからの時代、コミュ力が低くなってきている人は苦労するでしょう。逆にコミュ力が高い人は生き残っていく。漫才教育を通して、笑いのコンサルを通して、これからの時代を生き抜いていける人をたくさん育んでいきます。

Lauqhter ピン芸人かける(ししょー)